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【雑記】いつか古文になる今の言葉

累計5日目

日々のお勤めお疲れ様です。アカツッキーです。

私の地元は今日は雨が降ったりやんだりな一日でしたが、地域によっては深刻な被害も出ているとのこと。最新情報を確認するなど、どうぞご注意下さいませ。

 

7月2日。とあるニュースが全国を駆け巡りました。

噺家桂歌丸さんがお亡くなりになりました。81歳でした。

日本テレビ系の長寿番組「笑点」に第一回から出演し、演者として司会者として50年もの長きにわたりお茶の間に笑いを届けてきた桂歌丸さん。

落語は気が向いた時にチラっと聞く程度の私でも、歌丸さんの落語は聞きやすく、分かりやすいなと感じました。それは言葉であったり、表情であったり、所作であったり……演じるということ、人を笑わせるということについて研究し続けてきたからこその、まさに技術と努力の賜物であったのだろうと思います。

 

一人のファンとして、心よりご冥福をお祈りします。

 

さて、ここからが表題。

 

「日本語を大切にしてほしい。若い方は言葉を省略し、無理に変えてしまっている」

桂歌丸さんの訃報の折、Twitterにて歌丸さんの言葉としてこのような文面が流れてきました。

本当に歌丸さんが言ったかどうかの真偽は分かりませんが、実際その通りだなと思いました。

古いところで言えば「チョベリバ」

少し古くて「JK」

最近だと「エモい」とか「やばたにえん」とかでしょうか。

何も知らない人にこの言葉だけ並べ「どんな意味?」と問うてみたら、答えられる人いるんでしょうか?

 

そんな話を友人としていたらポツリと。

「今だって古文とは全く違う言葉を喋っているように、今(の言葉)も古文の一種になる。流石にめちゃくちゃだなあとは思いますけどね」

ああ、確かにそうだよな、と。

その時代ごとに言葉はあって、現代の私達が古文と言われるような500年も1000年も前の言葉を言われたとして、それをきちんと理解できるかと言われれば怪しいもので……。

逆に500年先、1000年先の未来からすれば、この時代の言葉は一種の古文になっていて、一部の研究者以外は場合によっては触れることもないようなものになっていく。

そういう長いスパンで見ると、これはこれでもいいのかな?とちょっと思ってしまいました。

 

そして私は自分の主観(感性)だけで言葉を見ていましたが、その友人はもっと俯瞰的に見ていたことに、自分の視野の狭さを認識しました。

 

その友人は私より年下で、インターネットがなければきっと出会うことがなかった人。どことなく昔の自分を見ているようで、どうにも色々な部分でお節介になってないか不安になっているのは秘密です。

 

当たり前に使っている自身の母国語。決して正しく美しい言葉で話さないと!とは思いませんが、それでも本来の言葉が持つ「響き」は大切にしていきたいな、とそんなことを思った出来事でした。

 

あと、良い友人との出会いへの感謝も。

 

では今日はこの辺で。

ご自愛下さいませ。