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【不定期連載】あめつちの言ノ葉を読み解く 第2回『め』

日々のお勤めお疲れさまです。アカツッキーです。

連載企画の第二回目。始めていきたいと思います。

 

※注意※

ブログ内に書いてあるものは筆者の個人的主観と偏見による意見であり、作品の生みの親である今田ずんばあらず氏の思想等とは一切関係ありませんし、的外れな場合もあります。御理解の上閲覧ください。

あとネタバレを含みます。

 

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あめつちの言ノ葉

◆第一章 模倣と翼の章(2002~2008.01)より

小説版「ドラえもん のび太と戦国パニック」

ジャンル:二次創作SF・歴史・ファンタジー/概算文字数:10600文字

 <概要>

冬休みの宿題として戦国時代について調べることになったのび太たち。ジャイアンの発案(皮肉)で戦国時代に行きたいとドラえもんに相談していると、突然現れた自称魔法使いに不思議な呪文をかけられてしまう。目が覚めると、なんとそこは戦国時代だった。しかも豊臣、武田、上杉が、あのシンデレラを取り合って合戦に!?果たしてのび太たちは元の世界に帰ることが出来るのか?

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~ここから感想~

 

 タイトルから分かる通り、この作品はドラえもんの二次創作である。
 元々はずんば氏が小学六年生の時に書いたクラスの劇脚本なのだという。「戦国時代の劇」をやりたい男子と「シンデレラの劇」をやりたい女子が対立する中、一人「ドラえもんの劇」がやりたいと思っていたずんば少年が手を上げてこの三要素を取り入れた物語を作り上げた。

 ドラえもんで最も多いパターンは「のび太ジャイアンにいじめられ、ドラえもんに泣きつき、未来の道具でなんやかんやする」というもの。「なんやかんや」と酷く曖昧な表現になるのは、言うまでもなくそのパターンの多様性が大きい。単純に仕返しする場合もあれば、逆にトラブルになったり、元々の思惑とは見当違いの出来事(人助けなど)になることも多い。

 この作品もまた、きちんとそのパターンを踏襲している。

 

 冬休みの宿題で戦国時代についてレポートを書く宿題を出されたのび太たち。戦国時代に行きたがるジャイアンと、そんなの無理だよと極めて一般論をいうのび太。そんなのび太を殴りつけるジャイアンは。ドラえもんに相談するのび太。そしてなんやかんやあって戦国時代に行くことに。

 ドラえもんの登場人物はドラえもんのび太ジャイアンスネ夫の4人。のび太のダメ人間っぷり、ジャイアンの傍若無人ぶり、スネ夫のマザコンと取り巻き臭(小物感)は、原作よりも誇張されている気がする。ドラえもんは、ややフランクというか、会話の端々がだいぶ軽い。

 

 全体的な構成に目を向けると、思いのほかしっかりとしている。

 上記の通り、ドラえもん出身の4人の特徴は多少大袈裟に表現されているもののちゃんとそのキャラクターを認識することが出来る。

 登場する戦国武将は豊臣秀吉武田信玄上杉謙信という有名所で揃えられている。しかも作品冒頭で行われている学校の授業風景でこの三人は言及されており、きちんと伏線回収の形となっている。

 シンデレラはまた少し違っている。シンデレラは世界中に似た話(バリエーション)があると言われているが、日本でシンデレラといえばやはり欧州からの輸入された文学の印象が強い。劇中ではそれを利用して戦国に迷い込んだシンデレラは日本語がわからない設定になっており、ドラえもんたちはひみつ道具「ほんやくコンニャク」を使うことで戦国武将たちがコミュニケーションに四苦八苦していた問題を見事に解決している。

 物語は進み、いよいよ武田・上杉・豊臣(ドラえもん)によるシンデレラ争奪戦が始まる。戦国時代の合戦と言えば足軽や鉄砲隊による数千数万の軍勢のぶつかり合いが主流だが、あくまでこれは小学生の劇である。そんな地域住民総出演しなければいけないような演出は事実上不可能だ。そこをずんば少年はシンデレラに「引き連れ(戦に参加する人間)は10人まで」と条件を提示させることでこの問題を解決している。

 あとここまで書いといて今更ネタバレも何もないのだが、詳細は省くとして最後のオチはシンデレラがかっさらっていく。劇として見るならやはり一番の見せ場はひみつ道具を多用する合戦だろう。それを考えれば女性陣のやりたかったシンデレラsideにオチを譲るというのもバランスが良い。

 

 もちろん回収されない伏線や説明不足なことが多くあることは否めない。小説版として再構成されたとはいえ、やはり表現などに違和感や疑問符がまとわりつく。

 だが、基本的に小学生くらいを対象とした物語は往々にしてそういうものが多い。あえて語ることなく終わることで、読者の想像力を刺激するためだ。(見せ場とオチを男女別にしたのもそうだが)ずんば少年がそこまで考えていたとは失礼ながら到底思えないが、結果としてなかなか良くまとまっている。たぶん同じ年頃の私はもちろん、世間的に中年に突入した今現在の私でも書けない。

 

 個人的に一番気になったのはシンデレラに関する設定である。劇中内でシンデレラはドイツ出身となっている。私の記憶ではシンデレラはグリム童話に含まれる話(灰かぶり姫)であり、グリム童話を編纂したグリム兄弟はドイツ(で活躍した)の人である。私もこの記事を書くにあたりウィキペディアを覗いてみたところ、日本人の多くがイメージするシンデレラの「魔法使い」「ガラスの靴」「カボチャの馬車」などの設定はフランスの文学者である、シャルル・ペローの「サンドリヨン」が元なのだそうだ(初めて知った)。もしずんば少年が当時それを知っていたら、劇中のシンデレラはフランス出身ということになっていたかもしれない。もっとも出身地がどこであろうと「ほんやくコンニャク」で解決されてしまうのだが……。

 

 ずんば少年が描いたこの作品は、学級内外を問わず広く好評を得たという。この成功体験が、後々のずんば氏の創作活動の活力となっている。他人のために行動する大切さを説く人間は多いが、実際に他人の評価を得られる機会は思いのほか少ない。それを小学生という早い段階で経験できたことは幸運であり、貴重なものだったことは言うまでもない。

 

 ただ一つ個人的にどうしても腑に落ちないのは、最後のドラえもんのび太のやり取りからのシンデレラによるオチ。この二つがあまりにも矛盾している。辻褄が合わない。たとえ「小学生だから」という色眼鏡でも、どうしても気になってしまう。

 

 ……私も嫌な大人になったものだ 。

 

 

 

小説版「ドラえもん のび太と戦国パニック」 / 2020.01.29 読了

 

著者・今田ずんばあらず氏:Twitter

イラスト・秋月アキラ(大城慎也)氏:Twitter 

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