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【読書感想文】自転車で関東一周してみた。~十三日間の記録~

累計91日目。

日々のお勤めお疲れ様です。アカツッキーです。

台風が日本海に逸れた影響で、東側にある日本列島は南からの暖かな空気に覆われた地域が多く、新潟では36℃を記録したとか。10月というのに真夏日です。本当に今年は天候に振り回されることが多いですね。明日以降は東北や北海道が台風の影響を受けるとか。どうぞお気をつけ下さい。

 

各種お知らせについては昨日の記事を参照のほど。

 

というわけで、表題。

 

 読書感想文2回目。今回も前回に引き続き「今田ずんばあらず」さんの著書を読んだので感想を。

 

前回の記事はこちら。

 

 

 

f:id:gotenmari:20181006210927j:plain「新装版 自転車で関東一周してみた。~十三日間の記録~」

著・今田ずんばあらず

 

 2012年の夏。著者が神奈川県から出発し、神奈川・東京・埼玉・群馬・栃木・茨城・千葉を経て、東京~神奈川へと戻る、まさに関東一周の旅である。

 

 新装版とあるように、前回書いた「過去からの脱却」と同じくこの作品もセルフリメイク作品である。初出は2013年4月末。この新装版は2017年12月末で、私はこの12月末に開催された冬のコミックマーケットでお迎えしました。

 

 大バッグにテントやシュラフ(=寝袋)を、小バッグに着替えやタオル、ウエストポーチに貴重品を、心に夢と希望を詰め込んで、当時大学生だった著者は「しゃりくろさん」と名付けた自転車で旅に出た。

 神奈川県の城山湖、東京都の八王子市、埼玉県の熊谷市群馬県高崎市、栃木県の足利市茨城県水戸市、千葉県の柏市、東京都の墨田区、神奈川県の横浜市……。

 数々の神社や銭湯。相模川那珂川を始めとする河川。定期的にお世話になる東横インマクドナルド。

 

 著者は言う。

意志がないように見えるということはつまり普段からものごとを考えてないということだ。それはきっと自分の世界が小さいからなのだろう。それなら広げてしまえばいい。世界を広げるには?僕の答えは「旅」だった。

『第一章 北関東への道/P13より』

 

 インターネットの世界を覗いていると、よく「海外に行って価値観が変わった」とか「旅をして人生が云々カンヌン」とかを書いたものにぶつかる。口の悪い友人は「たかが旅行で少し見聞きしただけで変わるならそもそも大したことない価値観しかなかったんだ」と言うが、私としてはそれほどの衝撃と出会えたことを羨ましく思う。

 

 私は今年、これまでの人生の中で間違いなく一番旅をした。春に宮城県に行き、夏に秋田県に行き、初秋には日帰りだが山梨県に行った。得るものも知るものも多くはあったが、劇的に何かを変えるような出会いは正直なかった。

 私は基本引きこもりだ。成人してからはマシになったが、昔は電車で数駅のところに行くことすら嫌がったし、場合によっては徒歩で10分程度の場所へ行くのも嫌がり駄々をこねたものだ。今でも本当に「行きたい!」と思わなければ、ある程度近場でも足を向けることはない。

 自分の世界を広げるために自分が知らないことを知ろうとするのは人の常であるが、著者のように大荷物を抱えて炎天下の中で自転車を走らせる人間は果たして何人いるだろうか。ましてや関東平野は平野と名が付いてはいるが、平地の多くは開拓されてコンクリートアスファルトで固められ、通行量も多い。それを避けて走ろうとすれば、旧道沿いを中心に未舗装の道も多く存在する。どちらにしろ自転車にはさほど優しくはない。

 また、寝る場所の確保も今の時代は難しい。公園や河川、寺社仏閣の敷地内にテントを張って寝ることは、場合によっては条例や法令に反する行為とされる場合があり、体一つでただ寝そべっているだけでも退去を命じられることだって珍しくない。本文中にもあるが、実に旅をしづらい時代になった。

 

 そんな中で、著者は実によく下準備と近隣への配慮をしていると言える。自転車に長時間乗ることで起きる低血糖状態、いわゆるハンガーノックの発症防止に水分だけでなく意識的に糖分を多く摂取したり、寝泊まりする公園や神社では(自衛の意味ももちろんあるだろうが)ひと目につきづらい場所を選定し、町の人達が活動を開始するより先に行動を開始する。まさに飛ぶ鳥跡を濁さずである。時間を持て余した大学生がただなんとなくの思いつきでする旅とは一味違う。

 

 旅の中で変化を感じるのは、やはり人の反応の違いであると思う。

 本文中で、著者は何度も「どこから来たのか」を様々な土地で老若男女問わず訊かれている。そのたびに著者は「神奈川県です」「関東一周しています」などと答えるわけだが、その反応の違いが見ていて感じるものがある。

 スタート間もない神奈川県では「まだ全然だねぇ」という言葉が返ってくる。そこから北上して埼玉に入ると、神奈川から来たと聞いて感心した様子を見せる。群馬や栃木など北部で出会う人々も同様だ。グルっと回って南部に戻ってくると、本文中に登場する人は好奇心が強い人たちが多いようだと紹介され、いずれも著者を応援するような言葉、あるいはそれに近い言葉を口にする。

 たとえ実録であろうとこれは創作物である。創作物である以上、著者の描きたいもののみが描かれ、描きたくないものは描かれない。創作は至って単純である。

 旅の道中、声をかけられたすべてを本文に記したとは思えない。もしかしたら「バカなことしてるなぁ」という類のことを言われたかもしれない。だが、これは完全に推測ではあるが、仮にそういう言葉を投げかけられても旅を終えた著者にとっては大した問題ではなかったのではないかと思う。なぜなら、旅を終えた筆者はこう言ったのだ。

 

道は繋がっている。(中略)そんなの、地図を開けば分かることなのに、その事実に気付いた途端、なんとも言えない幸福感に満たされた。(中略)あるのは、どこへでも行けるのだという目覚めだけだ。まだ自分はスタートラインにすら立っていない。

(第三章 故郷へ続く道/P150より)

 

 旅を終えた彼の心は、次の旅への思いで既に満たされているのだ。

 新装版のあとがきによれば、その後も彼は旅をして、旧東海道に沿って歩き、箱根を越えたらしい。そして東北の被災地へ。

 本書の旅は2012年に行なわれた。前年には東日本大震災が発生している。7年以上経過した今現在をもってなお復興が完了していないのを見れば、当時の被災地の現状は想像に難くない。

 著者は茨城県でその片鱗を見た。それが今後の旅へ影響を与えたかどうかは定かではないが、後に著者の代表作とも言える「イリエの情景 ~被災地さんぽめぐり~」へと繋がっている気がしてならない。

 

 以前の記事でも書いたが、著者は全国の同人イベントに参加する同人行商人だ。旅の相棒は自転車から自動車に替わったが、彼の旅は続いている。

 

「何のために旅をするのか」

 

 今の私に、その答えは出せない。この本を書いた当初の著者が「まだスタートラインにすら立っていない」のであれば、なんだかんだと理由をつけて旅をしてこなかった私は、きっとまだスタートラインを引いてすらいないのだろう。

 

  あなたにとって、旅とはなんだろうか?

 

 

  最後に、同書で私がもっとも感銘を受けた言葉を記載させていただこうと思う。

 

書き手と読み手の感性の違いはむしろ重要だ。差異があるからこそ、それは芸術であり、物語である。それが無くなってしまえばそれは学問であり、論述文になってしまう。

(第二章 那珂川をくだる道/P93より)

 

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今田ずんばあらずφ10/5~9天満天神さん (@johgasaki) | Twitter