きっと私の風が吹く

好きなことを、好きなように

【雑記】夢を追うということ

累計47日目。

日々のお勤めお疲れ様です。アカツッキーです。

連日の宣伝失礼します。

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そして、表題。

 

ついさっき、いつもお世話になっているニコニコ生放送の生主さんの放送に行ってきました。普段とはちょっと違って、枠の半分が真面目な、それでいてユーモアと哲学をちょっと振りかけたような、そんなお話。

 

以前からその生主さんが、将来こういう事をやりたいんだっていうお話を聞いていました。でも今日は、それとは違う夢を語っていらっしゃいました。

そしてその生主さんは言いました。

 

「この夢は、きっと私が死ぬまでに叶えられるはずの夢だから」

 

その言葉には、安物のイヤホンを通してなお分かる、確信にも近い自信に満ちていました。自信というと、ちょっと違うかもしれません。どちらかと言うと”信じて疑わない”と言った方がいいかもしれません。

 

私も、あの生主さんなら叶えられるだろうと思っています。真面目で、何事にも真剣に取り組まれる方で、そのせいで心労は絶えないようだけれど、それでもきっと大丈夫。

 

みなさんは、夢ってありますか?目標でもいいです。

私は無いです。ずっとずっと探しています。まだ見つかりません。

 

幼い頃からそうでした。好きなことはあるけれど、それを極めたいとか、それで将来ご飯を食べていきたいとか、思ったことはありませんでした。子供の頃の文集とかで必ず書かされる「将来の夢」が嫌いで嫌いで仕方ありませんでした。

 

その時その時に興味のあるものに触れてはしばらく続けてみるものの、どうにもしっくり来るものがなく、あれよあれよと今に至ります。

自分のやりたいことが見つからない私にとって、周囲の方の「これがやりたい!」と言えるものがあることが純粋に羨ましかったです。

 

現在で言えばクラウドファンディングなどに代表される「誰かを支援する」ということを平気な顔で出来ることは、純粋な気持ちではあるものの、その根底にあるのはそうして刻まれ積み上げられたある種の羨望の感情によるものなのです。そしてもっと性格が悪いのが、そうして夢を追う人を応援することで、自分もその夢に一緒に乗っけてもらおうという浅はかでどうしようもない感情によるものなのです。

そんな感情をいつ頃からか、ハッキリと自覚できるようになり、私は私がもっと嫌いになりました。

 

そして私が自分でギフトなどを贈るのにためらうことが無いのとは対照的に、自身がそういうのを受け取るのが極めて苦手なのは、そういう惨めで浅はかでずるい自分なんかのためにお金や時間を使わせてしまってごめんなさい、という気持ちが常にあるからです。

そして次の瞬間には、そうした自分勝手な感情で贈ってくれた相手の気持ちを素直に受け入れられずにごめんなさい、素直にありがとうと言えずにごめんなさい、という気持ちが沸き起こり、色々合わさって自己嫌悪に襲われます。

 

ここ最近、Steamでゲームギフトを頂いたり、AmazonでVOICEROIDを頂いたり、コミケでご挨拶に言ったら作品を頂いてしまったりと、ありがたいことにたくさんのご好意を頂戴致しました。

 

そのお気持ちに応えるために自分が何が出来るのか、そろそろ人生の節目を迎えようかという年齢に近づいてなお分かりません。

 

いましばらくは、私はまだまだ誰かの夢を応援するだけの私でしかいられないようです。

 

いずれきっと、私にも心からやりたいと思うことが出来て、胸を張ってそれを口に出せる日が来る……と、そんなことを考える生放送でした。

 

夢ってどこに売っていますか?

 

 

ご自愛くださいませ。