きっと私の風が吹く

好きなことを、好きなように

【雑記】地元の話

累計35日目。

日々のお勤めお疲れ様です。アカツッキーです。

近所でお祭りをやっております。割とこの地域では大きなもので、毎年それはもう大した見世物もないのに人がゴミのように集まってまいります。

お祭りって日本では神事に由来するものってイメージが個人的にありますが、町おこし的なものも最近は増えているようですね。良いか悪いかは分かりませんが、その地域で愛されるものならばそういう細かいことは開催する側の人間が留意する程度で、参加される方はあまり気負いしないでいいと思ったりします。ただ、ゴミは持ち帰ったり指定の場所に捨てるなどはして欲しいものです。

 

そんな、表題。

 

私は来年にでも移住しようと思っている人間ですが、いま住んでいる町に生まれてから今日までずっと住んでおり、基本属性が引きこもりなのもあって外の町をほとんど知りません。引越も数回したことありますが、すべて同市内なので生活圏が少し変わっただけで見える景色はあまり変わりません。

 

元々高低差のある土地で、低地は氾濫原と呼ばれるほど水害に苦しみ、高地は一面に広がる平原という土地柄。

江戸時代に堤が作られ暴れ川を治めてからは、低地は水郷の町として栄え、時代が進むと高地は急激に発展する日本経済を下支えする工業地帯として発展を遂げました。

 

今では都心部へのアクセスの良さからベッドタウン化が進み、人口も緩やかに上昇傾向にあります。

ショッピングモールを始め、生活に必要なものは大体揃っており、気候は今年のような異常気象でなければ夏は平均30~31℃くらい、冬は10℃前後で雪が降ることも積もることも稀な、平均的で可もなく不可もない、良くも悪くも住みやすい普通の町です。

 

そんな町で約30年。見つけた小道に入る小さな冒険をすることもほとんどなく、学校に通う時も仕事へ向かう時も、毎日同じ道を通り、ほぼ同じ店で買い物を済ませ、同じ駅から市外へ向かう……。

 

私は30年の間で、この町のことをどれほど知ろうとしただろう。そんなことを最近思う時があります。

 

私が見て見ぬふりをした小道の先に、魅力的な何かがあるかもしれない。

私が「高い」と言ってそっぽを向いたお店が、実は人生に影響を与えるほど美味しいものを提供しているかもしれない。

私がただの通り道と思っている道路の並びに、街角に、いつも使う駅の向こう側に、一度も降りたことのない停留所の近くに……私の知らない、この町の魅力が広がっているかもしれない。

 

そんなことを最近思います。

今からでも探しに行けば、もしかしたら私の人生は今より少しだけ豊かになるかもしれません。

 

でも、私はそれをしないでおこうと思います。

面倒だから、というのもちょっとはあります。でもそれ以上に、そこで何か魅力を見つけてしまったら、私はまた、チャンスを手放してしまうような気がするのです。

 

これまでの人生を振り返ると、私は何度もチャンスを手放してきたと思います。家庭の事情や会社の都合などもありますが、ほとんどが私自身の判断によるものです。いわゆる「たられば」の話をしたところでもはやどうしようもありませんが、それでもたまに思うのです。あの時こうしていたら、と。

 

人生三十年の節目が、目の前に迫っています。そんな時に出会ったのが東北ずん子であり、黄桜すいでした。

そして、迫町森や中通りく……そしてそれらに関わる地元を愛する皆様。

 

その出会いで繋がれたご縁は、もう私に残された最後のチャンスな気がしてならないのです。これを棒に振れば、これから死ぬまで、今と同じ、ただ明日を生きるために今日を忙殺するだけの日々を送り、疲れたら仕事をやめて怠惰で非生産的な日々を過ごす、そんな毎日を送り続けるような気がしてならないのです。

 

移住に対して、私はそういう「焦り」にも近いマイナスな思考を持っています。傍から見れば、焦って失敗するパターンに見えるかもしれません。

 

────それでも。

 

今の私にとって、これは最良の選択だと思っています。もしネットでゴロゴロ転がっているような移住失敗なんてものに結果としてなったとしても、それはそれで良いと思っています。

 

だってほら、付き合い長い人は分かると思いますけど、私はよく言ってるじゃないですか?

 

来世の自分に期待する。

 

来世のために、現世で経験値貯めておかないと。もしかしらた、強くてコンティニュー出来るかもしれないじゃないですか?

 

なんて。

 

ちょっと話がそれましたが、今日はこれにて。

どうぞご自愛くださいませ。