きっと私の風が吹く

好きなことを、好きなように

【雑記】言葉の価値

累計14日目。

日々のお勤めお疲れ様です。アカツッキーです。

世の中は今日から3連休。しかし関東を中心に今夏最も強い暖気が押し寄せこの連休は猛暑日になるとのこと。西も東も、今年は例年以上に暑さに苦しめられそうな気がします。熱中症等々に十分ご注意下さい。

 

さて、表題。

 

昨夜、いつも仲良くしていただいてるとある生主さんと、日付が変わる頃から明け方3時位までSkypeでお話をしました。お話と言っても、マイクを使ったのは生主さんで、私はそれを聞きながらチャットを打つというなんともおかしな感じでしたが(生主さんお手数おかけしました)。

 

詳しい内容は省きますが、その中で何度も話したのが「言葉の使い方・選び方・価値」について。

 

まったく同じ言葉でも、口調であったり、その前後の文脈で意味合いが違って聞こえることってどなたにも経験のあることだと思います。

 

例えば「ごめんなさい」という言葉。言葉そのものは同じでも、声質やその前後の言葉の選び方や言い方で、本当に悪いと思って謝っているのか、ひとまず謝っておこうという打算で言っているだけなのか、といった具合に変わってきます。

 

言霊という言葉があるように、私達が当たり前に使う言葉には力があります。でもその言葉は、とりわけ「ありがとう」とか「ごめんなさい」とか「愛してる」とかって言葉は繰り返し言えば言うだけ価値が下がるものだと思います。

 

手当たり次第に「愛してる」って言ってる人から愛してるよって言われても「どうせみんなに言ってるんでしょ?」ってなりますし、とにかくなんでも「ごめんなさい」って言ってる人からごめんなさいって言われても「本当に悪いと思ってる?」ってなります。少なくとも私はなります。

 

たとえ同じ内容だとしても、言葉の選び方や伝えるタイミングで、印象はガラリと変わります。

本当に伝えたい言葉こそ、もっと大切にして、本当に伝えるべき時にきちんと伝える、シンプルで分かりやすいけれど、なかなかの難問。

 

言葉の持つ力と、その力を正しく使うために必要なことはなにかを、今一度考えないといけないなと感じた3時間でした。

 

急いで書いているのでザックリとしすぎてごめんなさい。

 

ではでは、今日はこの辺で。

ご自愛くださいませ。